1973年5月4日生まれ
1991年 日本大学入学
2005年 さくら歯科を開業
2007年 さくら歯科拡張
2008年 たんぽぽ歯科開院サポート
得意とする治療
3MIX−MP法 インプラント セレック
小児矯正 審美治療 金属義歯(入れ歯) ホワイトニングなど
子供時代
岐阜県岐阜市にて、4人兄弟の長男として生まれました。一番下の妹とは12歳年が離れています。
小学生の時からサッカー部に入っていて、サッカー漬けの毎日を送っていました。
サッカー部のコーチが恐ろしく怖い人ですぐに人を殴ったり、怒鳴ったりする人でした(汗。当時としても考えられないようなスパルタで、今だったら大問題になりそうな教育方法でした。
凄くつらかった反動で、最近でもテレビでサッカーを見ることに対して少し恐怖を感じるほどです。
中学校のときはいつもパートで母が居なかったので、妹と弟の面倒を見ていました。
子供の頃に一番楽しかった思い出は、歯科医師である祖父に鮎釣りに連れて行ってもらった事です。趣味は釣りと将棋という子供時代をすごしました。
祖父は岐阜県海津郡で歯科医師をしていました。郡市の歯科医師会の会長をしていて人望もあり、自慢の祖父でした。
祖父の歯科医院は凄くはやっていたのに、腰が低く、すばらしい人格者でした。私の大学のお金も全部出してもらいました。絶対に祖父が居なければ歯科医師になれませんでした。
祖父の治療を身近に見ていたため、歯科医師になって人の為に治療をしたいという気持ちが強くなり、歯科医師を目指ざすことになりました。
大学時代
大学に入り、日本拳法という格闘技を始めました。
ここでも小学生の時のサッカー部のように朝練、昼練、夜練という過酷な生活が待っておりました。
大学では日本育英会さんからお金を借りて生活をしてきました。しかし、大学で使う材料費などのお金が足りず、アルバイトも週三回は徹夜でやってました。なぜかいつも、ハードな道を選んでる自分に気がつきます。
しかし今から考えると、自分の心と体の成長を助けてくれた大切な体験だったと思います。
拳法部も痛い思いをかなりしたので、少し恐怖感が残っており、K−1などの格闘技の番組は少し苦手になりました。
そんな忙しくしている中、5年生のときに今の妻と付き合うことになりました。私を選んでくれて今でも感謝しております。ちなみに妻は実家から片道2時間もかけて大学に通うという苦労をしていました。
代診(勤務医)時代
祖父が大学を卒業してすぐ他界したので大学で研究したかったのですが、すぐに勤務医として働くことになりました。
1年目は一日中院長の後ろで立ったまま見学をしていました。給料も少ししか貰えなかったので生活が大変でした。
生活が苦しかったので、当時の同僚のアパートに転がり込んで生活費を抑えてお金を貯めては勉強会に行っていました。
1日中立っているということが凄くつらかったのですが、このままではすぐに治療ができるようにならないと思い、週2日の休みの日は他の歯科医院でアルバイトをして勉強しました。卒業してからずっと働き通しで、この10年以上、妻や子供に寂しい思いをさせているなぁといつも反省しております。
そんな生活を送っている内に、どんどんが仕事が出来るようになり、給料もみるみる上がっていきました。育英会にお金を返すのと、自分の開業資金を貯めるために給料は高かったのですが質素に生活しておりました。
開業時代(現在)
東京の歯科医院で働いていたときに、自分の治療に自信を持てるようになったので開業をしたいと考え、歯科の業者に頼んで場所を探してもらいました。
開業場所に春日井市という土地の名前が出てきたのですが、実はそれまで一度も足を踏み入れていない土地で心配でしたが、業者の勧めで思い切って開業しました。
開業してからは、どんどん患者様も増えて、すぐに自分ひとりでは患者様を全部診きれなくなりました。代診の先生もどんどん増えていき、アルバイトやパートの人も含めると、スタッフが50人くらいになりました。人を雇うのは想像以上に難しく、上手く行かない事が多いのですが、最近では『院長のために』と言ってくれるスタッフが増え、仕事が楽しくて充実した日々を送っております。
現在春日井青年会議所に入り、友人も増え、楽しく春日井市民として生活しております。

